この辺り一帯は昔、藤十郎山と呼ばれたところで、元禄12年(1699)の災害によって同14年(1701)、宿場の一部と今切関所が移転した場所である。新居宿と関所は、宝永4年(1707)10月の地震・津波で再び大きな被害を受けたため、現在の新居へ総町(全町)移転した。 平成20年10月 新居町教育委員会 |
江戸時代、検校とは盲人社会の最高位をさし、座頭が検校になることは困難なことであった。言い伝えでは、その昔、盲目の座頭が検校の位を得るため、東国より京に上る途中、この辺りで道に迷い倒れ、その望みを絶たれてしまった、という。その後、誰言うとなくこの谷を「検校ヶ谷」と呼ぶようになった。 新居教育委員会 |
境川より東に石原山にて小松多し、風景の地也。北の方に大岩あり、高さ十丈余、幅二十丈ばかり、猿馬場の茶店に柏餅を名物とす…・ |