この「ソテツ」は広重の東海道53次の内赤坂「旅舎招婦図」と題されたはたご風景の中に描かれていた「ソテツ」である。明治20年頃道路拡張により当宿の旅籠より当寺境内に移植された。
(樹齢・推定270年 樹高・3m 幹周・4.6m)
赤坂宿(赤坂駅)
徳川幕府時代における赤坂宿は東海道53次の一にしてまた三河一国の幕府領を支配する代官所(赤坂陣屋)の所在地たり 
宿には本陣、脇本陣、問屋、旅籠屋等に至るまで其設備至らざるはなし
多数の飯盛女を抱えて繁栄を極む
御油や赤坂吉田がなくば 何のよしみで江戸通い
御油や赤坂吉田がなけりゃ親の勘当うけやせぬ
蘇鉄 浄泉寺 西裏 赤坂町 豊川市 愛知県