豊橋市指定史跡  一里山の一里塚  昭和五十年十一月八日指定
 慶長九年(一六〇四)徳川家康は、江戸日本橋を起点として東海道・東山道・北陸道に主に榎を植えた一里塚を築かせ、これを全国に普及させた。一里塚は、三十六町を一里とした里程標で、旅人にとっては里程や乗り賃支払いの場合の目安となり、日ざしの強い時には木陰の休所ともなった。 江戸時代には、道中奉行の監督下で吉田藩が松並木とともに保護維持にあたったが明治以降その必要性も次第に失われ荒廃にまかせられた。 この一里塚は、もと道路を挟んで左右に一基ずつあったが、南側のものは破壊されて屋敷の一部となり、僅かに残った痕跡も大正末年頃には全く滅失してしまった。現在、幸に保存されて残るこの塚は東西十一米、南北十四米、高さ三米で、旧東海道の面影を残す極めて稀な遺構の一つである。 豊橋市教員委員会
細谷一里塚 一里山 東細谷町 豊橋市 愛知県