![]() |
| 豊川の水清く豊かな流れは、私達の先祖を育てこの町を生み出し、時に賑やかな湊ともなり、今はまた親水護岸が作られ市民の憩いの場ともなっているが、その昔、このあたりは四ツ家といい河原同様の荒れはてた土地であった。 この地に最初に村を築いたのが浅井長政の一族、浅井与次右衛門らおよそ80名の人々である。その後、天正18年(1590)池田輝政が吉田城主となり、城下町を拡張整備した際に四ツ家を船町と改め、浅井氏を庄屋に任じたと伝えられている。 吉田湊が開かれたのは近世初頭てあり、吉田宿24か町の中で船町のみが独自の立場で船役を勤めていた。また、吉田湊は豊川舟運の終点としてさらに伊勢や遠く江戸への航路の起点として栄え、当時、三河における最大の湊であった。 豊橋市教育委員会 |