吉田城ははじめ今橋城と称し、永正2年(1505)牧野古白によって築城された。以来東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国武将が攻防を繰り返した後、天正18年(1590)に池田輝政が入封し15万2千石の城地にふさわしい拡張と城下町の整備が行なわれた。しかし輝政は在職10年で播磨姫路に移封され、のちに入封した大名は譜代ながら少禄のため輝政によって大拡張された城地も未完成のまま明治に至った。この城の縄張りは背後に豊川をひかえ、本丸を中心に、二の丸、三の丸を前面と側面に配した半輪郭式の「後ろ堅固の城」といわれるものである。
 吉田城鉄櫓 今橋町 豊橋市 愛知県