宿場は紺屋町から1−6丁目を経て鎌田町あたりまで。火災、空襲に遭って古い町並みは焼失し、今は駅に近い銀座通り商店街に生まれかわっている。街道は宿場東口の鎌田町で鉤の手状に南方に移り、歩行者専用の鎌田橋で夏井川をわたる。橋の袂に首切り地蔵の小祠がある。元文3年(1738)、藩主内藤政樹の永年に亘る悪政に対し磐城4郡181ヶ村の百姓2万人が総決起した。一揆の代表者は後日捕らえられ鎌田河原で斬首された。内藤政樹もその責任を問われ日向国延岡に移封になった。格子扉の隙間から覗いて見ると本当に首のない地蔵だった。
四ツ倉に向わずにまた寄り道をする。岩城の国の故郷のような場所を訪ねる。
寄り道
陸奥の国に編入されるまで、ここは石城の国であった。「岩城」、「磐城」、「石城」と気まぐれに使い分けているようだがこのなかでは「石城」が一番古い。養老2年(718)、菊多(常陸国)と石城・標葉(しねは)・行方(なめかた)・宇太・亘理郡をあわせて一国とした。陸奥国に編入された後は石城郡となる。その中心部が夏井川下流地方にある。奈良飛鳥のようなところである。
鎌田の枡形の最後の角をそのまま真っ直ぐに、国道6号五色町交差点を横切って南に進むと県道229号に出る。この道、甲塚古墳線を東にたどってゆく。
専称寺
専称寺は応永2年(1395)の開創で、浄土宗名越派奥州総本山である。1490年後土御門天皇の勅願所の一つとされた。梅福山の中腹に江戸初期の簡素な造りの本堂と茅葺の庫裏が残っている。崖淵に建つ腰袴付の鐘楼も昭和の復元ながら清楚で優美な姿をみせている。境域内には600本の白梅が植えられていて、「根が傷むから立ち入るな」との立て札が多かった。古代の里の名刹は人気の少ない山里の奥座敷のような環境にあって、深閑とした趣に囲まれてあった。
甲塚古墳と大国魂神社
専称寺から1kmあまり行ったところの石城夏井局の先を右にはいっていくと左手田圃の真ん中に円錐形の小塚が見えてくる。石城国造建許呂(たけころ)命を葬ったと伝えられる。後ろに国道6号バイパスが見える。あぜ道を歩いて塚の後ろにまわると、国道近くの田圃で、二人の女性が手作業で稲を刈っていた。
反対の方向をながめると鬱蒼とした丘陵が見える。その端に延喜式内大国魂神社が鎮座している。古代の石城国造や岩城郡郡司、中世にあっては国魂村の地頭などが奉斎した神社である。本殿だけでなく、白木に銅板葺きの鳥居が古色を強めている。昭和8年に神木の大杉に落雷のあったことが記されていた。
夏井廃寺塔跡(根岸遺跡)
甲塚古墳から県道299号にもどり国道6号バイパスをくぐると県道15号の小名浜四ツ倉線に合流する。夏井小学校をすぎてまもなく、右手にでてくる舗装された農道を入って田園の中を進んでいくと、突き当たりの田圃の中に白い案内板が立っていた。土盛りされた草むらに一個の礎石が置いてある。背後の低い丘陵に石城国衙、磐城郡衙があったと考えられている。
なお、ここから1kmほど東に美しい白砂青松100選の新舞子浜が南北に続いている。
県道15号を一路北上し、国道6号を横断して常磐線草野駅近くの旧街道に入る。
札幌本道「赤松街道」 | 北海道函館市、七飯町 | 若狭街道(鯖街道)「熊川宿」 | 福井県上中町 | |
奥州街道(七戸)松並木 | 青森県七戸町、天間林村 | 竹内街道「竹内宿」 | 大阪府太子町、奈良県当麻町 | |
羽州街道「楢下宿」 | 山形県上山市 | 熊野古道(なかへちみち) | 和歌山県中辺路町 | |
浜街道「木戸宿」 | 福島県楢葉町 | 出雲街道「新庄宿」 | 岡山県新庄村 | |
三国街道「須川宿」 | 群馬県新治村 | 石見銀山街道「上下宿」 | 広島県上下町 | |
中山道「追分宿」 | 長野県軽井沢町 | 岩見銀山街道「天領石見銀山」 | 島根県太田市、温泉津町 | |
北国街道「出雲崎宿」 | 新潟県出雲崎町 | 撫養街道 | 徳島県脇町 | |
北陸道「倶利伽羅峠」 | 富山県小矢部市、石川県津幡町 | 梼原街道 | 高知県梼原町 | |
東海道「岩淵間宿-由比宿」 | 静岡県富士川市、由比町 | 日田往還 | 大分県日田市 | |
東海道「藤川宿」 | 愛知県岡崎市 | 長崎街道「日見峠」 | 長崎県長崎市 | |
東海道「関宿」 | 三重県関町 | 薩摩街道「大口筋(白銀坂)」 | 鹿児島県姶良町、吉田町 |