浅見川河口 奥州日の出松 広野町 双葉郡

(広野町公式サイトより抜粋)
「日之出松」は、日の出時における背景との美しさと、曲り松として優美さから、尾上の松、高砂の松と共に日本三名松の一つに数え上げられていました。さらに、「安寿と厨子王」伝説との結び付きから、陸前浜街道沿いにおける名所となっていました。
昔、この地方を治めていた岩城判官氏が、謀反人により殺されてしまいます。そのために、奥方は安寿姫と厨子王、それに乳母竹を伴って、諸国を巡る流浪の旅(筑紫への旅)に出ますが、途中海賊に騙され、二人の子供は人質にさらわれてしまいます。奥方はこれを悲しみながら、乳母竹の里である浅見川で亡くなってしまいます。一方、人質にさらわれ、厨子王とも離れてしまった安寿姫は、やっとのことで悪者の手から逃れますが、辿り着いた浅見川の地に倒れ世を去ってしまいます。これを哀れんだ村人たちは、奥方と安寿姫の亡がらを埋め、そこに松の木を植え手厚く弔いました。(このときに植えられた松が「日之出松」だといわれています。)

安寿姫と厨子王の乳母(姥)役となった竹女になりますが、二人を失った責任を感じて、海に身を投じてしまいます。ちょうどその頃、浅見川の地では、怪しく美しい色合いをした大蛇が、二人を埋めた松の木にからみつきながら天に昇って行きます。これを見た村人たちは、不安を感じ松の木を伐ってしまいます。しかし、後に、これは竹女が大蛇となって戻ってきたのだと思うようになります。また、伐ったときの切り口からは、不思議なことに血が流れ出ました。この事があってからこの松のことを「血の出松」というようになります。現存している松は、伐られた松の根元から出た新芽が育ったものだということですが、やがて「血の出松」が訛って「日之出松」と呼ばれるようになったともいわれています。 (現在日の出の松は、台風被害によりなくなってしまいました。)