梅福山報恩院専称寺は、応永2年(1395)良就上人十声大和尚が開創した浄土宗名越派の寺です。名越派は、浄土宗の宗祖法然の門弟で鎮西派を開いた弁長の弟子良忠の門下の良弁が(尊観)が立てた流派です。北関東から奥羽に勢力を伸ばした名越派は、良山が山崎の矢ノ目に如来寺を開き、奥羽両国にわたる同派の基礎をすえ、良山の高弟良就が専称寺を開山しました。6世良大の延徳年間(1489〜92)専称寺は勅願所となり、以後良大の衣鉢を継いだ僧らが蝦夷から沖縄に及ぶ布教によって江戸初期までに建立した末寺は3百とも5百ともいわれています。江戸初期以来、幕府から寺領70石を受け、奥羽の浄土宗全寺院を支配する総録所を兼ね、如来寺を凌ぐ隆盛をみせていた専称寺は、万治4年(1661)に名越派奥州総本山の地位を確定しました。現在の境域は縮小されているとはいえ、山号の由来する梅福山をはじめ、本来の境域の中枢部分を保持しており、寂光院跡、衆寮跡などを確かめることができます。江戸期の本堂と庫裏が残存することも、浄土宗檀林の姿を止めるのとして貴重です。昭和初年、衆寮跡の地に植栽された600本の白梅は、この境域にひとしおの風趣を添えています。  福島県教育委員会

 専称寺 平山崎字梅福山 いわき市