泉は岩城氏、鳥居氏、内藤氏の所領であった。寛永11年10月磐城領主内藤政長の次男政晴が初代泉藩主となり2万石を領した。2代政親の寛文8年3月より泉館と城下町の建設が始められた。(以下略)
赤玉本多
奥州泉藩主本多二代目本多忠籌侯は寛政2年(1790)4月、老中に就任。持槍二本を許され、登城の際は行列の先頭に立て、持槍二本のうち一本の素槍には太陽をあらわす「朱天目」俗に言う「赤玉本多」を槍の穂先に飾り、威風堂々と登城し、その赤玉は昇る朝日に映えて、美しく見事であったと語り伝えられています。また、諸大名は「赤玉」を遠くに見たとき、忠籌侯に敬意を表して行列を道脇に寄せ、譲ったともいわれています。

泉城址 泉町 いわき市