資料27 南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。 蚤虱馬の尿する枕もと |
池月小学校前に街道碑がある。学校の前の道が出羽街道中山越と考えそうだが、旧道はもうすこし手前で斜めに南下し、池月駅の東方で線路を横切って駅前集落を通り抜け国道47号の池月信号交差点に出ていたようである。その跡をさぐってみると、それらし道が線路まで残っていた。誰も通らない廃道である。民家の間を縫って駅前通りを斜めにぬける道が残っている。これが旧道跡かどうか定かではない。
下宮宿は国道池月信号を右折してJR線路までの短い区間に作られた。古い家が残っていない池月駅周辺だが、この通りだけは昔を偲ばせる家並をみることができた。この旧宿場通りは小僧街道とよばれている。踏み切りをわたったところで右から池月小学校前の道が合流してくる。
旧道は踏切りから小僧街道をすこし北に進み、花岳院の参道入り口で左折する。寺を回りこむようにして西に方向を転じてのびていく道は惚れ惚れするような街道である。時々孤立した人家があるだけで集落すら通らない。