義経伝説  弁慶の船引き
陸奥の国に入った義経一行は尿前の関守館に旅装束をとき、しばらくぶりに安らぎの一夜を明かした。山の幸・川の幸でもてなしを受け、川下の川原湯に案内された。北の方はことのほか喜ぱれ朝な夕な亀若丸と共に入浴して、長途の疲れと産後の回復にしばし留まることになった。毎日の送り迎えは弁慶の日課となった。 以前、上鳴子には船渡・船引という地名があったが、これは北ノ方の毎日の入浴に弁慶が流れを漕いで船を引いたことからでた地名だという。  その温泉は川原湯(現在の姥ノ湯)だといわれ、亀若丸を湯にいれて「この地、もはや藤原秀衛の国なれば泣き玉うともはばかることなしと申しければ、始めて泣き玉う」と。 故、「泣き子の湯」といい、瀬見の湯は「なかずの湯」といったという。  鳴子町史より
尿前の関 尿前 鳴子温泉 大崎市 宮城県