陸奥より出羽に通ずるこの街道中、鳴子村には、玉造川歩渡・大谷川歩渡・尿前坂・苗からし坂・小深沢坂・小深沢歩渡・大深沢坂・大深沢歩渡・きね坂・いさこ坂・陣ヶ森坂・軽井沢坂等の坂や歩渡が多く、この街道中最もけわしい道筋である。中でも大深沢は、安永風土記(1773)に「出羽江之街道尿前通等一之難所、坂沢ニ而登り下り十丁軍用之所ニ御座候」と記載され出羽街道中最大の難所である。この街道は陸奥と出羽の最低部を通る、多賀城より秋田方面への最短通路であったので、往来は頻繁でありまた軍用上大きな意義をもっていた。大深沢には中世の奥羽騒乱の際に陣地が設けられている。戊辰の役(1868)の際には、岩出山領主伊達氏を始め、仙台藩士や家中が、尿前に本陣を置き、小深沢・大深沢・中山宿・陣ヶ森・関沢・羽州笹森・向町に詰番所を構え警備を行った。
大深沢 尿前 鳴子温泉 大崎市 宮城県