苅又一里塚 苅又 萩荘 一関市 岩手県
一里塚は、慶長九年(1604年)徳川幕府の命によって、全国の街道に一里毎に土を盛り里程標として築造されたものである。 この一里塚は迫街道に造られたもので、奥州街道を分岐し宮城県境を越え、岩ケ崎、迫、岩出山を経て、仙台、山形方面に通じ藩政時代は奥州街道に次いで栄えた。 築造は江戸時代初期のもので、二つとも鉢を伏せた原形をとどめている。 旅人の休憩場所、駕寵屋、乗馬賃などの基準点であり道路交通史上、生活文化史を知るうえで責重な存在である。 一関市教育委員会