玉造5宿駅(岩出山・下宮・鍛冶谷澤・尿前・中山宿)の一つで、鳴子村尿前の、肝入・検断、遊佐平八郎・平右衛門父子の尽力によって、寛永2年(1625)に設けられ、検断がおかれた。幕末には「東西1町1間、南北33間、戸数10戸、人口46」の規模であったといわれている。 
中山宿駅跡 川端 鳴子温泉 大崎市 宮城県