万葉集(第9−1757) 草枕、 旅の憂いを 慰もる事もあらんと 筑波嶺に 登りて見れば尾花散る、 師付の田居に雁がねも 寒く来鳴きぬ。 新治の鳥羽の淡海も秋風に 白波立ちぬ。筑波嶺のよけくを見れば長き日(け)に、おもひ積み来し憂いはやみぬ。 歌にある師付の田井とは、この辺一帯の水田を指したのではないかと思われる。 恋瀬川(古代信筑川)に沿って、これより下流に広がる水田地帯には、一大湖水を思わせる地名(馬洗戸・津波・網代・雁群・沖)、及び条里制の一部と判断できる遺構のあるところから、この辺一帯は古代から水田地帯であったと推定できる。 尚碑のある付近は、昭和四十八年まで鹿島やわらと称し、湿原の中央に底知れずの井戸があり、日本武尊や鹿島の神にまつわる伝説のあるところで、土地の人は、昔から「しずくの田井」と呼び、しめ飾りをして守ってきたところでもある。 |
徳川頼房(威公)(1603〜1661) 水戸藩初代藩主。家康の11男。城を修築し、城下町を拡張・整備し千波湖東側の低地を開発して町人を住まわせた。 |
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徳川昭武(節公)(1853-1910) |
1 | 仙湖の暮雪 | 偕楽園南崖 | 比良の暮雪 |
2 | 青柳の夜雨 | 水戸市青柳町(那珂川畔) | 唐崎の夜雨 |
3 | 太田の落雁 | 常陸太田市滝坂東崖 | 堅田の落雁 |
4 | 山寺の晩鐘 | 常陸太田市西山研究所裏 | 三井の晩鐘 |
5 | 村松の晴嵐 | 東海村村松虚空蔵尊裏 | 粟津の晴嵐 |
6 | 水門の帰帆 | ひたちなか市和田の上 | 矢橋の帰帆 |
7 | 岩船の夕照 | 大洗町願入寺裏(那珂川畔) | 瀬田の夕照 |
8 | 広浦の秋月 | 茨城町下石崎(涸沼湖畔) | 石山の秋月 |