江戸時代、柏市域の一部は小金牧といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地であり、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。その情景は下の「水戸土浦道中絵図」から探ることができます。牧の中を水戸街道が画面東西に走りぬけ、その街道沿いには松並木と思われる樹木、周辺の野原には野馬の群れる姿が見られます。牧のはずれには木戸(「柏木戸」、「新木戸」)が置かれ、その周囲には野馬土手が築かれている様子がわかります。水戸街道は、水戸藩士の通行や人々の物資の輸送などに使われた重要な道でした。そのため牧と村の出入り口には木戸を作り、人々の往来を確保し、無宿者や浪人者などにも対処するための関所の役目も果たしていました。明治時代になって地租改正が行われ土地に番地がつくようになると、柏木戸のあったところが柏1番地となりました。現在、木戸は残されていませんが、水戸街道の「新木戸」や成田街道(現在の県道我孫子・関宿線)と言われた「花野井木戸」「船戸木戸」などが今でもバスの停留所の名称として使われています。![]() |
但馬の国筒江の里に伝わる伝説 −布施弁財天のいわれ− 千葉県柏市布施に紅龍寺東海寺という名刹がある。大同2年(807)7月7日の早朝、湖の中か紅色の龍が現れ、たちまちにして島が現出し、日が没するころにはおおきな振動と共に不思議な雲が島の周辺にたなびいた。そのときどこからともなく現れた弁財天がいうには「私は但馬の国朝来郡筒江村より来たりてこの島に降臨したり」と。これより以後、毎夜のごとく島には明るい炎が輝いていた。弁財天が里人の夢に現れて述べるには「私の住んでいた安らかな山は但馬国朝来郡筒江村にあり。みるところ板東武者はわがままにして欲が深く、仏神を敬おうとする者少なし。よってこの地に来たれり」と。 以下略 |
旅の後、『旧水戸街道繁盛記下』(山本鉱太郎 崙書房出版)を買った。同書28ページの「大正時代の我孫子」の地図に、まぎれもなく「近江屋酒造」が記されている。位置は寿町の本陣跡あたりに近い。 向かいに「秋山酒造」とあった。 |