国分尼寺跡 若松3丁目1(府中小学校北側)石岡市 茨城県
国分寺・国分尼寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願により、鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた寺院である。国分尼寺は、法華滅罪之寺といい、常住の尼僧10名を置き、寺院の財政は水田10町によってまかなわれた。一般に国分尼寺は、国分寺より早く衰退したらしく、今日では、その遺跡すらどこにあるのか不明なものが多い。 常陸国分尼寺跡は、一直線上に中門跡・金堂跡・講堂跡の礎石群が基壇上にあって保存され、全国的に見ても極めて貴重な遺跡である。昭和44年から4次にわたる発掘調査により、各建造物基壇の規模や南大門跡、北方建物跡、西及び北を限る溝跡などが明らかにされている。 発掘調査で出土した遺物の中には、瓦類や土器などがあるが、瓦類は常陸国分寺跡出土のものと同形のものが多い。また、土器の中では、「法華」の墨書銘のある土師器が出土しており、法華滅罪之寺を証明する資料となっている。   昭和60年1月  石岡市教育委員会