| 月輪館に葛西氏の支館にして月輪六郎七郎兄弟の居城なり。迫の城主師門家臣にして六万石を領し天正年間標高111mの水越玉山島討嶺に築城し眺望絶景難攻不落。全域鉄壁といわれ現在も内濠外濠とも歴然と残る。月輪兄弟が迫合戦にて討死の悲報をうけると妹「おりい姫」はお付女中と共に城を脱出し山の中腹で自害した。「おりい権現」はその女中が懇ろに葬った地と伝えられている。 |
花泉駅前をかすめ金流川(かなれがわ)をわたると県道48号との丁字路に「宿場町金沢入口」の看板が立っている。右側の路傍に丸石の道標がおかれているが、文字はまったくよめない。「道、右ハいしのまき、 左ハうすきぬ」と刻まれているようだ。右石巻とはこれまで来た道。左薄衣とはここから県道48号を北上して薄衣で国道284号に合流し、そこから東にむかって気仙沼にいたる気仙沼街道のことである。
16代当主熊谷太三郎がまだ文学青年であったころ、北村透谷の紹介で英語の家庭教師にやってきたのが明治女学校での教え子佐藤輔子との禁断の恋に苦悩していた若き島崎藤村であった。皮肉にも一関は輔子が小学校時代を過ごした土地であった。藤村は1ヶ月もたたないうちに彼女のいる東京に戻る。既に婚約者がいた輔子は2年後花巻にもどり結婚、翌年はかなく病死する。輔子24歳、藤村23歳のことであった。