一関藩は宮城県岩沼の領主であった田村氏が仙台藩から3万石を分封され、大名格を与えられたのが始まりです。領地は一関市の磐井川右岸のほか、花泉・千厩・藤沢・大東・室根・東山・川崎・金成の一部(飛び地)。 初代は田村右京太夫建顕(たけあき)で、入部は1682年(天和2)5月2日。建顕公は名君の一人で、藩民の向学精神と勤労精神を高め、江戸にあっては津山城受取り奉行(岡山県・元禄10)や、播州赤穂城主浅野公のご切腹(江戸屋敷・元禄14)などの大任を果たし、外様大名としては最高位の「奏者番」にまで取り立てられました。以後、明治維新まで185年、一族11人が一関藩主を担ったため別に「田村藩」と言われました。磐井川左岸は仙台藩直轄領でしたが、お互いに好影響を与え続け、特に幕末から建部清庵、大槻玄沢といった蘭学者、長沼守敬や大槻文彦など、多くの文化人が育っています。 平成12年10月 一関青年会議所 |