大町  一関市 岩手県

大町の由来
一関市大町は徳川時代の初期から
宿場町として栄えて来たところです。 その時代は仙台藩主・伊達政宗一門・留守政景が一関城主となり中心街を「大町」と名付け、以来、暦代の一関藩主田村氏に引継がれ今日に至っております。大町は地主町と共に城や武家屋敷を守るため一戸当たりの間口は、三間半(6.3m)に区割りされて配置、道の中央には濠を流し奥州街道(大町通り)を行く諸大名や旅人にも多くの情諸を与え続けました。大町の戸数は寛文13年(1673)63戸、安永4年(1775)91戸、慶応4年(1868)3戸と着実に増え続けました。 昭和22・23年(1947〜8)の台風被害を克服し昭和55年(1980)から始まった都市計画にあわせ、商店街が団結し大町近代化事業が完成、名実共に一関の中心商店街として面目を一新しました。  平成2年8月  一関市大町銀座商店街振興組合