| 徳川家康公江戸開府に際し御伝馬役支配であった馬込勘解由が名主としてこの地に住し以後大伝馬町と称された。 |
| 江戸名所図絵や広重の錦絵に画かれて著名なこの地は将軍御成道として繁華な本街道であり木綿問屋が軒を連ねて殷賑を極めた。 |
他に筋違橋門(万世橋−中山道)、小石川門、牛込門、市ヶ谷門、四谷門(甲州街道)、赤坂門(大山道)、虎ノ門等36ケ所の見附などがある。 「浅草寺縁起」によれば、推古天皇36年(628)、檜前浜成、竹成兄弟が江戸浦(隅田川)で漁をしているとき、投網の中に1体の仏像を発見した。これを持ち帰って土地の名士であった土師中知に見てもらったところ、聖観世音菩薩の尊像であることがわかり、土師中知は自ら浅草寺にそれをお祀りした。浅草神社(「三社権現社」)はその3人を祀る。 |
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6月のある朝、花菖蒲の写真を撮りたくてやってくると、大勢の人だかりだ。6時半になると突如ラジオの音楽が放送され、朝もやの土手でラジオ体操が始まった。 なお、葛西用水は相模町で3方に分流され、元荒川は用水の一部を引き継いで、中島で中川に流れ込む。 |