いまでは新幹線の車内でも「おいしい草加せんべいはいかがですか」といわれて販売されていますが、もともと羽衣煎餅と呼ばれ、江戸ではやった駄菓子です。一般に干菓子は、宿駅に集まる運送業者や市場へ往復する農民たちの携帯保存食でもあったのです。寛政年間(18世紀末)ごろの豪農の日誌に、年末年始のあまりおおげさでない手みやげとして出てくるのが、今のところ、草加での「せんべい」の最初の記述です。砕かれた粉米が多く出ることと、上質でない醤油の産地であったことが、草加でせんべいが発達する地盤を固めたといえます。  草加市歴史民族資料館
おせん公園-草加