ほねつぎといえば名倉、名倉といえばほねつぎの代名詞になるほど、往時の名倉医院は関東一円に知られ、下妻道に面し、日光道中や水戸街道分岐点を間近にして便がよかったから駕籠や車で運ばれてくる骨折患者がひしめいていたという。門前の広場は、これらの駕籠や大八車などの溜まり場であった。 名倉家は、秩父庄司畠山氏の出で享保年中(1716〜)千住に移り、明和年間(1764〜)に接骨医を開業したと伝わる。 現在、江戸時代から昭和中期まで盛業時の医院の建物が保存されている。昭和59年12月区登録記念物(史跡)とした。 かって、名倉医院の周辺には、患者が宿泊して加療できる下宿屋、金町屋、万屋、成田屋、大原屋、柳屋があって、その主人が名倉医院で治療に当る医師及び接骨師を兼ねていた。   平成5年3月  東京都足立区教育委員会
 千住名倉医院 千住 5−22−1