この塔は五輪の塔で鎌倉時代の様式であり、この地方の豪族が供養塔として建立したものと言われています。−−この付近は『紫』という地名であることから、源氏物語の作者である紫式部の墓と、言われるようになったと思われます。 |
その先右手に壬生寺がある。「慈覚大師誕生地」の看板が貼り付けられた山門をぬけると広々とした境内の真ん中に樹齢350年というイチョウの大木が聳え立っている。延暦13年(794)最澄の高弟で後の天台座主慈覚大師円仁がこの地で生まれた。大師堂の西側に産湯の井が残っている。竹樋から流れ出る水はいまでも霊水として体によいとされている。なお生誕の地は他に、例幣使街道の犬伏宿と富田宿の中間あたり、岩船町にもある。
街道は壬生の町をはなれ右にカーブして北西に向かう。北関東自動車道のガードをくぐったすぐの交差点角にセブン・イレブンがある。店の裏側の田んぼに頭だけ出して隠れている金売吉次の墓がある。芭蕉も「奥の細道」でこの墓を見たと、曾良は記している。源義経が追われて奥州平泉に下る際、同行していた金売吉次はここで病死したという。彼は奥州平泉に出る砂金を京で売りさばいて儲けた。