日本ラインの景を知らずして河川の美を語るべからず」といわれた如く正にラインの名にそむかず奇勝千変万態、水、狂うかと見ればまた油の如く渦をなして流れ、軽舟飛涼をあびて下る。対岸に迫るは鳩吹山。ここ坂祝河畔は「ライン下り」第一の佳景。特に「行幸巌」よりの眺望は、古来幾多の名士嘆賞の地として名高い。 |
北条仲時公、以下従士430余名の墓 元弘3年(1333年)5月9日六波羅探題北条仲時公は京都での戦いに敗れ、北朝の天子光厳天皇・後伏見・花園二上皇を奉じて、中山道を関東に向かって番場の宿に着いたとき、南朝軍の包囲に陥り、やむなく玉璽を蓮華寺に移し大いに戦いたるも衆寡敵せず敗退し、遂に本堂前庭に於いて仲時公以下従士430余名ことごとく自刃す。 時の住職三代同阿上人は、深く哀憐され、その姓名と年齢・法名を一巻の過去帳に留め更に一々その墓を建て丁重に弔う。過去帳は重要文化財に指定され宝物館に収蔵され、墓は境内にある。 米原町教育委員会 |
一.本殿 安土桃山時代の建築で重要文化財に指定される 一.安産・延命の神 随時安産祈願の上御神籤御守帯を授与される 一.老蘇の森 右手に見える森です。平安朝の昔から中仙道の歌所として 著名である。昭和二十四年史跡に指定され、昭和三十一年 近江櫻八景に選定される。 一.裏参道 ここより南へ半町 神園内には休息所あり社務所で湯茶の接待 をxxx |
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