第5回 ストックホルム大会

1912年5月5日〜7月22日
実施競技種目数: 15競技102種目(近代5種、女子水泳・飛込みが追加)
参加国・選手数: 28ヶ国から2437人 内日本選手2人が初参加

オリンピックが各国内のオリンピック委員会ごとの参加となったことで「国とは何か」が改めて問われ、第5回大会開催に当たって、「IOCの認めたスポーツ領域は、政治上の領域とは異なる。オリンピックには政治上の領域に関係なく独立して参加する資格がある」と宣言。近代オリンピックの理想が確立されていった。

アメリカのアイリッシュ・インディアン混血
ジム・ソープが5種、10種に大差で世界新記録優勝。

嘉納治五郎(柔道の創始者。当時、東京高等師範学校、のちの筑波大学、校長)がアジアで初めてのIOC委員に就任。ストックホルム大会への参加に向けて大日本体育協会を創設。

1911年11月日本で初めて国内選考会が開催され、短距離で優勝した東京帝国大学の
三島弥彦と、マラソンで世界最高記録を作って優勝した東京高等師範学校の金栗四三2人が日本代表として初参加。  

短距離の三島選手は外国選手との体格差の前に100メートル、200メートルともに予選最下位。400メートルは予選通過したものの疲労のため準決勝を棄権。

金栗選手は炎天下、32キロ過ぎに日射病で倒れる。55年後ストックホルムに招かれゴール完成。
ポルトガルのマラソン選手、熱射病と脱水症で死亡。オリンピック初の死亡事故。
THE OLYMPIAD 1912
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