旧道「乳母の懐」 境下武士 伊勢崎市 群馬県
広瀬側にあった「竹石の渡し」の東詰めから境宿に至る間で、境下武士(さかいしもたけし)の5百メートルは一間幅の狭い道路ですが、日光例幣使道の面影を今に良く伝えています。江戸時代の絵図に描かれた武士村の稲荷神社には、村の高札場がありました。現在は大きな松が植えられていることで「一本松稲荷」と呼ばれ、地元で親しまれています。例幣使が武士村を通過するのは旧暦4月12日頃でした。武士の古老の言い伝えに、お輿に揺られ居眠りをしていた勅使が、武士村との境まで迎えに出ていた境宿の町役人に起こされて「乳母の懐に抱かれていたようじゃのう」といった場所は境萩原の付近でした。 平成20年3月  例幣使道まちづくり会議
写真 左上:旧道入口 左下: 一本松