竹石の渡し跡・広瀬川 境下武士 伊勢崎市 群馬県
上野国の日光例幣使道の渡し場は、利根川の五料の渡し場と、広瀬川の竹石の渡し場のニ箇所でした。この竹石の渡し場の渡船役は、主に下武士(しもたけし)村名主がつとめ、渡船や川止めなどを管理していました。記録によると、船賃は1人銭3文、荷物一駄が12文と決められており、村が所有する船一艘で渡しを行なっていましたが、日光例幣使通行の際は、隣村から二艘の舟を借り受け三艘、荷駄積み降ろし人足200人を出して渡船役をつとめました。明和2年(1765)日光大法会や元治2年(1865)、勅使である梶井宮が通行した際には、さらに多くの舟や人足が必要でした。明治に架橋され、渡し場は廃止されました。  平成19年3月 例幣使道まちづくり会議