一本松稲荷 境下武士 伊勢崎市 群馬県
八海山
この場所は、江戸幕府の公式記録である『中山道例幣使道分間延絵図』に、禁令などを人々に掲示する下武士村の高札場が示されており、また稲荷祠も記されていることから、稲荷社はその頃からありました。また、遠方まで出掛けなくとも信仰ができるようにと、越後三山や木曽御嶽山の修験者の霊場を分祀した築山が築かれ、八海山と呼ばれるようになりました。その築山に松が植えられていることから、日光例幣使道の一里塚であったという説もありますが、正式な記録は無いため、真実は定かではありません。現在、この場所は、稲荷社もあることから通称を一本松稲荷とも言われています。  平成19年3月 例幣使道まちづくり会議