昔から内陸部の物資を江戸へ大量輸送するために、物流の交流軸として北上川は、重要な地位を占めてきた。寛永年間(1626年頃)盛岡藩は城下の新山河岸(旧明治橋際)を起点とし、郡山・花巻・黒沢尻の三ヶ所に河港を開設して舟運の充実を図った。北上川の水上運送に用いた川舟には、水深等の関係から二種類あり、盛岡から黒沢尻までは「小繰船」、黒沢尻から石巻までは「ひらた舟」を使用した。「郡山河岸」は、桜町村の下川原にあり、北上川と大坪川の合流点付近で、現在「小舟渡(こぶなと)」と呼ばれる場所がある。ここは北上川の河床が入込んで入江の状態をなしていて、舟の停泊や積みおろしに都合がよかった。郡山河岸から御蔵の米・大豆が江戸に回送され、上方や江戸で仕入れた商品の古着・反物・陶器・書籍などが遡航便で移入されるようになった。明治23年(1890)上野〜盛岡間で東北本線が開通し、日詰駅が開設されてから旅客・物資輸送は徐々に鉄道に移行し、大正末期には郡山河岸はその機能を失った。

 郡山河岸跡 桜町下川原 紫波町 紫波郡 岩手県