花巻城の歴史
花巻城は、10世紀んおころ鳥谷ヶ崎城と称して、安倍氏の居城あったと言われている。中世に入り稗貫氏がこの地方を領したが永禄年間(16世紀後半)鳥谷ヶ崎城に本城を移した。天正19年(1591)稗貫氏が滅亡し、この地方は南部氏の一族である北秀愛が稗貫・和賀二郡の8千石の城代となり、鳥谷ヶ崎城を花巻城に改めた。その後、慶長3年(1598)北松斉が二代目の花巻城代となり、同19年(1614)南部利直の庶子南部政直が稗貫・和賀二万石の花巻城主となったが、故あって寛永元年(1624)に非業の死を遂げ、以降は藩士が交替で城代となり花巻城を治めた。花巻城は、地形に恵まれた要塞堅固な城であり、明治元年(1868)に開城となるまで、伊達藩境にほど近い要衝として南部藩の拠点となった。その形態はは丘陵地を利し、周辺に深い堀を設けた平山城で、規模は東西約710m、南北約500mを計り北から本丸、二の丸、三の丸からなる梯郭式城郭構造となっている。現在本丸跡が市指定史跡として保存されているほかは、公共施設や道路、民家によって占められているが、往時の威容は西御門跡付近や散見される土塁、堀跡にその名残をとどめている。また城内の建物や文化財についても、円城寺門や、時鐘(いずれも市指定有形文化財)、さらに当時の武家住宅の趣を今に伝える松川家、伊藤家などがあり、貴重な文化遺産となっている。  平成9年7月  花巻市教育委員会

花巻城本丸跡 城内11 花巻市 岩手県