本陣跡(児童公園)・道標 金井仲之町  渋川市 群馬県
この児童公園は昭和48年3月渋川市が旧三国街道金井宿の本陣屋敷跡につくられた。三国街道は中山道高崎宿から分れて北上し新潟佐渡に通ずる金井宿は金古渋川についで3番目の宿駅として設置され年代は不詳であるが江戸時代初期の慶長寛永のころと推定される宿は南北に直走し長さは約540m(当時の5町)下金井から民家を移して計画的につくられた。 その遺構は上之町仲之町下之町など屋敷の整然とした地割り形態や西北丘より人力で引水し宿に平行して東と西に流れている用水路にみることができる。宿には本陣脇本陣旅籠屋などあり本陣は宿の中央で岸忠左衛門氏は問屋または名主などを勤めた。越後の長岡村松与板等の大名が宿泊した屋敷内には当時の建物は残されていないが幸い地下牢がある。地下牢はこの児童公園内にあり間口約3m奥行き約4m深さは約2mである。江戸時代の中頃につくられたものと推定されるが県下に類を見ない貴重なものとして昭和48年5月22日渋川市指定史跡となった。本陣屋敷跡は岸家の親族で桐生市に在住する小林康泰氏所有管理するところであるが渋川市では小林氏より土地1133uを借用し各種遊具を備えて児童公園としている。この碑は小林氏の好意に地元民が感謝の意をもって寄附を募り建立したもので金井本陣児童j公園設置並びに金井宿の由来を記して記念とする。  昭和51年10月9日  渋川市教育長 金井仲之町一同