近松門左衛門の名作『冥途の飛脚』のモデルとなった新町槌屋の遊女・梅川は忠兵衛亡き後ここ矢橋十王堂で五十有余年の懺悔の日々を送ったと伝えられている。 大正5年7月2日の「大阪朝日新聞・京都付録」に『梅川の墓と矢橋』として梅川の墓を探しあてたとの記事がある。当時矢橋では梅川の終焉地を求めて熱心な研究がなされていた。坪内逍遥など当時一流の学者について意見を求め、寺の過去帳を調べ野の墓を捜し、ついに梅川の墓と見られる旧跡地が十王堂で発見されたと記されている。梅川はどのようないきさつでここ矢橋に懺悔の地を求めたのであろうか。旧跡地の名残りをとどめる梅の古木(谷家)と伝梅川の墓(清浄寺)が残るのみである。 草津市観光ボランティアガイド
十王堂跡(梅川終焉地) 矢橋町 草津市 滋賀県