上館の歴史
平安時代(794〜1191)の11世紀の半ば、陸奥の豪族として奥六郡(胆沢地方から岩手郡まで)などの一帯を支配していた古代みちのくの名将安倍頼時が中央の支配を排除して地方の自治・独立を主張して抵抗し反乱した前九年の役(1051〜1062)の際、政府軍の将、源頼義がこの付近に陣所を置いたところと伝えられ、さらに後年、諸氏が館をつくって住んだといわれている。以下略

奥州街道名残の松
南城小学校の校庭にある3本の松と近くの道路脇にある松は、遠く江戸時代、五街道の一つに数えられた奥州街道に、南部藩士・奥寺八左衛門定恒が寛文5年(1665)、花巻から鬼柳(北上市)まで植えた松の一部と伝えられています。奥州街道の松並木は、昭和10年代まで相当数残っていて藩政時代の面影をとどめていましたが、太平洋戦争時代の強制伐採や、強風による倒木、道路整備等によりほとんど姿を消しここに残る4本の松はたいへん貴重なものとなっています。特に道路脇の崖下に枝を垂れるような姿の松は「傘松」とも呼ばれ、「奥州街道名残の松」として平成9年11月、花巻市の天然記念物に指定されています。宮沢賢治は、この街道の松並木について「青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て」と詠んでいます。   花南地区コミュニティ会議  平成21年3月
  

上館跡 南城 花巻市 岩手県