ここはかって花巻川口町下根子桜八景とよばれたところで、そのころ柾葺の二階家が立っていました。宮沢賢治は大正15年3月末に花巻農学校教諭を依願退職し、4月にはこの家に移って独居自炊の農耕生活を始めました。そして、その理想であった「羅須地人協会」を開設し、近在の農業青年に化学、土壌、肥料、農民芸術概論等を講義し、農村をまわっては稲作、肥料の指導相談をしました。この詩碑は賢治がなくなった3年後の昭和11年に建立されました。碑文は賢治の死後に見つかった手帳に書かれていた「雨ニモマケズ」の詩が選ばれ高村光太郎の筆によるものです。詩碑の下には遺骨、経文が納められ、同年11月23日に建碑除幕されました。 |