復元賢治先生の家     花巻農学校精神歌の碑
賢治先生の家は、もと花巻町下根子桜(今の花巻市桜町)に、先生の祖父宮沢喜助翁隠居所として建てられたものであります。 大正15年に花巻農学校(今の花巻農業高等学校)を退職された宮沢賢治先生は、この家に 「羅須他人協会」を設立、近隣の若い人たちや農村の人たちの教育の場とし、また多くの詩を書き、農耕にしたがい、自炊生活をして農村のため、捨身の猛運動をはじめたのでした。 そのために病気になり、とうとう37歳の若さで、先生は昭和8年9月21日豊沢町の自宅で逝去されました。生涯独身でした。 昭和11年桜の地に「雨ニモマケズ」の碑を建てるとき、この家は宮野目村の農家の人に譲られました。ところが、このたび花巻農業高等学校が、現在の地に新築されることになりましたら、驚いたことに、この賢治先生のゆかりの深い家が、一部分は直されたところもありましたが、大体昔のままの造りで学校の構内になる場所に健在だったのでありました。 なんという不思議なめぐりあわせでしょう。同窓会に学校も協力、一同で熱心に復元にあたり、ここに賢治先生の住まれたなつかしい家が姿を現しました。そのうえそばの松の木の下、花に囲まれた庭園の一角に「花巻農学校桔神歌」の碑も建てられ、ほんとうに、みなさんに喜ばれる、すがすがしい気持ちよいところになりました。 昭和44年11月7日

羅須地人協会(宮沢賢治宅) 葛第1地割 花巻市 岩手県