寛永初期に城下を南方へ拡張する際に用材供給のため割り出され・・・・材木町と称した。城下町方二十四町の一つで、材木のほか・・・も与えられ、江戸道中南口、後の国道沿いの商人町として栄えた・・・土蔵建築や町・神などが残・・昔日の面影を・・
右手土蔵造りの建物は針生庸吉氏宅((有)針惣)。河原町木戸番をつとめた針生屋
南材木町 仙台