天子塚 宮沢 押切 尾花沢市 山形県
承久3年(1221)横暴を極める鎌倉幕府を打倒し朝廷の復権を計るため、第84代順徳天皇は退位して御父君後鳥羽上皇と共に挙兵した。しかし、朝廷側が敗北し後鳥羽上皇は隠岐ノ島へ、順徳上皇は佐渡ケ島へそれぞれ流配された。順徳上皇は彼の地で崩御されたとされている。しかし、上皇の御最期の不可解な行動が正式記録されている。実は、上皇は侍従阿部常次郎頼時の手助けで密かに島を脱出なされ、日本海を渡り、最上川をさかのぼって大石田に上陸し、尾花沢から船形山に潜幸なされたと伝えられる。その後、山を下りられ、上の宿に御所を構えられるが、悲運にも寛元4年(1246)7月19日この地で崩御されたと、江戸時代すでに伝えられている。(乩補出羽風土略記) 陵を天子塚と呼び、近くに御所神社を建立して上皇を祭神としている。また、大正15年、第51回帝国議会(国会)で陵の調査が審議され、全国的に話題となぅた。 宮沢地区歴史保存会