順徳天皇御遺跡保存碑 この地は承久3年(1221)秋、順徳天皇が佐渡へ御遷幸のとき、当時の五十嵐邸に行宮をしつらえられた御遺跡である。この御遺跡聚感園については、本町の本間健四郎氏が明治35年に万難を排してその事業を進められ、大正11年10月にこの行宮御跡碑一基と山頂にある御製碑一基を建設したものである。(中略)当園頂上の丘に寺泊で詠まれた御製碑と佐渡の真野御陵に正対してほこらを建て、帝の御霊をお祭りしてある。 長岡市 順徳帝御製碑 承久3年(1221)秋、順徳天皇が佐渡へお渡りの折、ここ五十嵐邸に御逗留された。 その折に詠まれた御製三首である。 ・たのめすはつらきならひと思はまし なかなかなりや松に吹く風 ・露も袖にいたくなぬれそ秋の夜の ながき思ひは月に見るとも ・月見ても秋のあはれはあるものを しづ心なくうつころもかな なお奥の越ノ浦神社は、帝の御神霊を奉祀したもので遥か佐渡の真野御陵に正対している。 長岡市 |