塩原太助馬つなぎの松 中山 高山村 吾妻郡 群馬県
塩原太助は、利根郡新治村(今のみなかみ町)下新田「塩原角右衛門」長男として寛保3年(1743)に生まれた。幼少の時に母と死別し、継母に育てられ厳しい仕事に耐えたが、むごい仕打ちに故郷を跡に江戸を目指して出奔。愛馬「あを」をこの松につなぎ別れたと伝える。時に宝暦11年(1761)の晩春で、太助18歳であった。後に天明2年(1782)、江戸本所に炭や「塩原」を独立し財をなした。かって太助出奔のおり喉が渇き水を欲したが、この辺りには水がなく苦渋した。そこで、反りの中山峠茶屋主「中野久兵衛」に旅人の無料接待を望み、茶釜と年一両ずつを喜捨している。
文化13年(1816)8月14日73歳をもって、本所相生町2丁目(今の両国三丁目)で生涯を終えた。因みに法名は「塩原寿山居士」と諡された。今でも中野家には太助翁の位牌が祀られている。
初代「馬つなぎ松」 種類 赤松 樹齢 300年位 目通り 2.5m(直径約80cm) 幹部はいぶき会館に展示してあります。
現在の松は、2代目の「馬つなぎ松」です。初代「馬つなぎ松」は、村指定文化財(天然記念物)になっていましたが、平成18年の夏に1に老木ゆえに枯れてしまいました。村ではこの場所を史跡として末永く伝えていくために、ニ代目「馬つなぎ松」を植樹しました。 平成19年12月 高山村教育委員会