船番所跡 堤町 枚方市
淀川舟運・枚方浜(問屋浜)跡
 過書船と伏見船の船番所
 通行手形を持つ特権川船のことを過書船と称し、享保初年(1716)には、乗客を主とした三十石船671艘、貨物運送を主とした二十石船507艘が、大坂と京・伏見の間を航行していました。 一方、過書船の営業独占に対抗して、元禄11年(1698)に伏見船の営業が認められたため、両者は激しく競合しました。泥町村には過書船・伏見船の船番所がそれぞれ設置され、淀川を上下する船を監視しました。

三十石船とくらわんか舟
 三十石船は船頭4人、乗客定員28人で、伏見から大坂への下りは半日か半夜、上りは竿をさしたり、綱を引いて船を曳き上げるため、一日か一晩を要しました。船客相手に飲食物を商う煮売茶舟は、「餅くらわんか、酒くらわんか」という売り言葉から俗に「くらわんか舟」と呼ぱれました。