三十石船 月見館 伏見区 京都市
淀川三十石船由来   徳川時代初期から明治中期にかけて京都大阪を結ぶ交通の大動脈であった淀川で、旅客の運送に用いられた船である。(中略)米を30石(75俵)積み込めた大きさの船であり旅客船として転用されたところから名付けられた。当時大阪は八軒屋、伏見は京橋が主な船着場であった。距離にして約11里半(45km)上がりは綱を引き櫂をさし約12時間下りは流れに乗って櫓を漕ぎながら約8時間の当時の旅であった。