野田宿入口 上野田 吉岡町 北群馬郡 群馬県
野田宿の由来
野田宿は、旧佐渡街道の駒寄小学校脇を起点とする伊香保街道の宿場であり、宿の始まりの付近で三国街道が交差している。街道は、板東三十三観音札所巡りの順路として、また伊香保への入湯の道として中世の頃から多くの旅人が往来していた。ここか宿場として発足したのは街道の整備が進んだ江戸初期の頃と云われている。旅人のために設けられた野田宿は、森田家が本陣で宿楊の中央に位置し、その上手を上司、下手を下町と呼び、さらに下手の新田は後になって宿に加えられた。宿場は、武家のための本陣をはじめ旅籠屋・問屋・雑貨屋・酒屋・穀屋・駕籠屋など多くの店が軒を並べ、学問所や芝居小屋もあった。これらの名残は、宿場制度がなくなり一世紀以上たった今日でも屋号として残されている。東西に延びる宿通りの北側を町裏、南側を町南と呼び、住環に沿って流れる用水堰は水量が豊富で、米麦の・つき挽き・に車屋と呼ばれる水車が四ケ所程あり用水は他にも潅漑・防火・雑用水・牛馬の飲み水など幅広く利用された。通りに建つ家並の外には幅ニm程の通り(盗人道)が作られ、それにも用水路があり、合計三筋の道や水路かあった。通りには、土砂の流失を防ぐためカメパラ`(石を平に並べた亀の腹面様の土留め)か作られていた。 繁栄していた野田宿も幕末から明治にかけての世の移り変りと共に旅の形態も変り、しだいに宿場も寂れやがて、その役割を終えることになったのである。平成十八年設立上野田南町まちおこしの会