馬加康胤首塚・大日堂跡 幕張町1丁目 花見川区 千葉市 千葉県
大須賀山の自然と文化財
幕張町は、古くは千葉郡大須賀荘須賀原あるいは幕張本郷と呼ばれ、江戸時代以後は馬加(まくはり)村と呼ばれていた。この丘の中腹に大日堂があり、元は独立した寺院だったと云えられ、御堂があることから堂の山とも呼ばれます。
 (自然環境) この丘は標高15m程で、南側は埋立てられるまでは、直接東京湾に面していました。現在でも自然の海岸林が残り、市内では貴重な自然です。林は海風を受け、タブノキを主にスダジイ、ツバキ、ヤブニッケイ、ヒサカキ、トベラを混え、西から東へ林相が変化して行く様子が見られます。
 (文化財) 階段上の右に文政11年(1828)関脇に昇った郷土力士荒馬大五郎(年寄宮城野馬五郎)の供養塔があり、左前方が大日堂で、以前大日如来が祀られていたが宝瞳寺に遷され千葉市文化財となっています。またかって御堂では旧暦2月に天道念仏という踊念仏が行われていた。左奥の坂上には馬加康胤の首塚と伝えられる方形の塚と、その上にその供養のため建てられたという江戸初期の五輪塔があります。  平成10年3月  千葉市教育委員会