旧羽州街道 土生田 村山市 山形県
羽州街道、追分に室町後期か江戸時代初期に、大石田・尾花沢への『みちしるべ』として造立された、天然石で変形角柱の高さ約六尺余の道標がありました。 戦後国道の改修工事により、その道標が跡形もなく取り壊されたが、平成11年に道標の中程の部分が発見され、『おおいしだ』と『道』と読み取れる文字が刻まれております。 また、大石田町史には安永7年(1779年)に最上川の舟止めの案内道標には、是より『右秋田海道』、是より『左羽黒山船道大石田通』の立て札致し候とあります。  平成14年 長月     土生田史蹟保存会
清河八郎お休み追分茶屋(写真正面)
回天封事の志士、清河八郎が安政2年(1855)3月20日から9月にかけて、母親と伊勢神宮を参拝する。伊勢よりの帰途旧9月7日楯岡江戸屋を早朝にたち、羽州街道沿い金谷村を過ぎて本飯田村に入り、土生田村で馬を繋ぎ朝霧が顔に触れひどく寒いので百姓が稲刈りに出て道ばたで焚火をしているのにしばらく身を暖めた。 土生田より左に大石田への分れ道がある、追分三叉路の茶屋(現・森貞雄)で暫く休み、囲炉リばたで暖をとる寒気となリ我が旅も久しいことをつくづくと感じた。 平成24年卯月  袖崎まちづくり協議会歴史部会