古四王神社 寺内神屋敷 秋田市 秋田県
旧国帑社古四王神社由緒
 御祭神は、武甕槌命と大毘古命である。由緒の古伝では、崇神天皇の御代に四道将軍の一人として北陸道に派遣された大彦命が、葦原中国平定に功のあった神代の武神武甕槌命を奉斎創祀し、秋田浦神と称されていたが、斉明天皇の4年阿部比羅夫が秋田地方を遠征した際に、祖先でもある大彦命を合祀して古四王神社と称し奉るようになったといわれている。歴史学的には秋田地方に大彦命の遠征が到達していたという明徴はないが、北陸東北の各地に古四王、巨四王、越王などと記される多くの神社が奉祀されているから、極めて古い時代から北陸とそれに続く東北の日本海岸側に亘って広く「こしおう」の神は崇敬されていたのであらう。だから城の国守として北陸に勢のあった比羅夫が、この神を尊崇したことも当然だったであらう。奈良朝以後は、蝦夷平定の拠点秋田城が神域の高清水岡に営まれることとなったので、城鎮護の武神として尊ばれることになり、ひき続いて中世には安東・秋田氏に、近世には佐竹氏に武神としての崇敬を受けたのである。 近くの住民や遠くの信者からは、単に武神としてのみではなく、産土神として豊作や眼病平癒についても広く崇拝されたのである。 明治以後県内ただ一社の国幣社に列せられたのも、その歴史的な神徳の高貴さによるものであった。境内には田村神社(住吉神社・今木神社合祀)岩戸神社・神明社の摂社・末社も鎮座している。