建立寄進者不詳なれど、古老の伝えによると越後の家畜商、江戸初期、省内のいずれかの地に祖先の供養塔を建立せんものと発願。(中略)形は半跏像で右手に錫杖、左手に宝珠を捧げている。仏像の高さは2.3m・肩幅1m・台座1.7mもある大身のお姿で、地方での石地蔵としては極めて大きく、参拝者が少なくない。民衆の地蔵尊への信奉が深く、毎年7月24日を命日とし、地蔵講を設け、近郷近在、特に漁師の祈願多く、夜の祈祷が行なわれて居る。寛政十歳龍泉山、林高禅院、鑑司円成記の棟札と地蔵堂建替造営山門繁昌祈処 午八月吉料日 大工棟染 次兵衛 片貝村 甚九郎 と記入されておる棟札が残っている。平成4年3月 吉日  上郷文化財愛護会  鶴岡市文化財愛護協会  荘内文化財保存会
延命地蔵 中山 鶴岡市 山形県