由来   
文治5年(1185)奥州信夫郡の領主佐藤庄司基晴が一族14人と共に源義経を慕って北陸道を尋ね歩いた。その途次三瀬に至り義経御生害を知り暫くはこの三瀬の地に留まることとなった。同年7月基晴は病に罹り死期の至るを感知するや、孫信道をはじめ一族を呼び集め「気比の大神の神命により一族はこの西山の外浜に赴き開村せよ。その地には山を穿ち通した霊泉が湧出している故、これを守り魚漁をなさば子孫繁栄遺いなし」と遺命を残して泉下の露と消えたという。孫の信道主従は遺命に従い直ちに小波渡開村を成し遂げた。建久6年(1195)の秋であったという。  この泉こそ開村由緒のわが「オミジャ」であり、年中水の増減なく又凶事ある時は濁水となって村人にその前兆を示すなど、生活に欠くことのできない「オミジャ」として村人の変らぬ崇敬をあつめている。 平成6年10月  鶴岡市文化財愛護協会 小堅文化財愛好会 小波渡自治会
史跡オミジャ 小波渡 鶴岡市 山形県