回向院 南千住
回向院は、寛文7年(1667)、本所回向院の住職弟誉義観が、行路病死者や刑死者の供養のために開いた寺で、当時は常行堂と称していた。安政の大獄で刑死した橋本佐内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。明和8年(1771)蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に立ち会った。後に『解体新書』を翻訳し、日本医学史上に大きな功績を残したことを記念して、大正11年に観臓記念碑が建立された。        荒川区教育委員会
  吉田松陰の墓
ねずみ小僧の墓    直侍の墓      高橋お伝の墓  腕の清三郎の墓
観臓記念碑  観臓記念碑