小塚原での刑死者の菩提を弔うため寛保元年(1741)に建立されたこの地蔵は、27個の花崗岩を組み合わせた全体の高さが4mに近い坐像で、台座には発願者・石工の名が刻まれている。奥州街道沿いにあったので江戸に出入りする多くの人が目にしたという。明治28年(1895)に土浦線(現常磐貨物線)敷設工事のため線路の南側から現在地に移されたが、人々に安らぎを与えてきた慈悲の姿は変わるところがない。
 小塚原の首切り地蔵 南千住