境木地蔵 境木本町 保土ヶ谷区 旧東海道
ここ境木は武蔵相模の国境で江戸時代にはそのしるしが建てられていて境木の地名はそれからおきたといわれています。また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきった所にあり名産の牡丹餅を食べながら旅の疲れを休めることができて大変賑わったとも伝えられています。境木の名を有名にしたものは地蔵で江戸の人達にも崇敬され今でも境内に寄附された燈籠が残っています。なおこの地蔵には次のような珍しい伝承があります。即ちいつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕にたち「俺は江戸の方へ行きたい運んでくれたらこの海を守ろう」と告げたので漁師達が江戸へ運ぶ途中この境木で動かなくなったため村人達は地蔵を引き取りお堂を建てて安置したところそれからは村が繁盛したということです。地蔵堂の鐘は明治になって野毛山の時の鐘に使用され横浜市民に大正の大震災まで親しまれました。